100万ドルの賞金を蹴って1日100ドルで暮らした天才

100万ドル、つまりは1億円の賞金を手にしたら、みなさんはどうしますか?お礼を言ってお金をもらって、ヨットでも買いましょうか?

多くの人はそうするかもしれません。しかし、グリゴリー・ペレルマンは違いました。

数学の天才だった彼は、賞を辞退してしまったのです。

ペレルマンは1966年に今のサンクトペテルブルグ、当時のソ連のレニングラードで生まれました。16歳になったとき、彼はレニングラード大学、数学・機械学部への入学を果たします。

1990年になる前に博士号を取得したペレルマンは、数本の記事によって成功を得ると、アメリカへ招待され、そこでリチャード・ハミルトンと出会います。

このときの出会いこそ、彼がのちに賞を辞退するきっかけそのものでした。

タイムスタンプ:

ペレルマンの子ども時代 0:41

エキセントリックな少年 2:19
履歴書を書けだと?3:30
ポアンカレ予想の証明 4:58
職を辞めた理由 8:12
100万ドルの賞金を辞退した理由 9:37
今現在のペレルマン 10:33

概要:

-1982年、ペレルマンはブダペストへ、国際数学オリンピックソ連代表として出場しました。そこで彼は最高点をマークし、金メダルを獲得したのです

-彼のエキセントリックさは人々の知るところとなっていました。金銭的に困窮していなかったにもかかわらず、彼は黒パンとチーズだけの食事ばかり摂っていたのです

-1993年にはカリフォルニア大学に2年間招待される栄誉に預かります

-カリフォルニアの滞在中、ペレルマンは履歴書を書くよう促されますが、彼はその提案に怒って反論しました

-故郷でペレルマンは、ステクロフ数学研究所で月100ドルの報酬を得ながら生活を続けていきました

-ハーバード大学、プリンストン大学、スタンフォード大学など、アメリカ最高峰の6つの大学で講義を行い、多くの受講者に恵まれますが、彼は有名になるためにそれを行ったのではなく、科学の名の下にそれを行ったとしていました

-2006年、ついにポアンカレ予想が照明されます。サイエンス誌は大々的にこのニュースを報じ、ペレルマンは数学のノーベル賞であるフィールズ賞を受賞することになりました

-自分は見世物にはなりたくない、とペレルマンはステクロフ数学研究所の職を2006年に辞し、隠遁した生活を送るようになりました

-ペレルマンは、ボロボロのコートに身を包み、長い爪とヒゲを伸ばした姿で出歩きました

-彼は自らの貢献はハミルトンのものに比べれば微々たるものだとして、賞を辞退していました

-ペレルマンはやがて数学から足を洗い、欺瞞に満ちた人間から離れて暮らしたいと願うようになります

-数年間、ペレルマンは母親の年金で生計を立てていましたが、2018年には時折ヨーロッパで、数学の講義をするようになりました

写真:

Grigori Perelman at Berkeley: By George Bergman – Mathematisches Institut Oberwolfach (MFO)/Wikimedia, GFDL http://www.gnu.org/licenses/fdl-1.3.html, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11511619

アニメーション:

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