ダグラス・モーソンの南極物語

メインキャンプから161キロも離れた場所で、モーソンは一人きりになり、生きるための食糧がほとんどなく、足と皮膚は深刻な凍傷になっていました。

どこまでも続く南極大陸の荒れ地を思い浮かべてください。何十キロ先も、雪、風、氷の危険なクレバス以外、何もない状況を想像してください。そんな時、地平線の向こうに点が見えます。近づくと、猛吹雪の中をよろめく一人の男性。明らかに限界に達しているものの、とぼとぼと歩き、わずかな物資をそりで引いています。

– 1911年12月2日。SY オーロラ号と呼ばれる南極調査船は、南極大陸への旅に出ました。乗っていたのは、過去の探検ですでに有名人であった、29歳の探検家、ダグラス・モーソンと、彼が率いる31人の男たちです。

– 1912年1月8日、スチームヨットは、当時名前がなかった南極の岬にたどり着きます。ここから旅が本格的に始まります。この場所は、この旅の後援者にちなんで、デニソン岬と名付けられました。

– 11月は、南極大陸の夏の始まりです。天候は前年よりも概ねよく、モーソンはそれを有効に利用することにします。

-重装備をして、たくさんの食料を積んで、スピードを出すために犬ぞりを使用。最初のうちは、順調に進んでいました。ファー・イースタン・パーティーのチーム名で呼ばれていた彼らは、2つの巨大な氷河に遭遇し、1カ月もしないうちに480キロ以上も旅します。

– 1912年12月14日、またしてもクレバスに遭遇し、メルツがはじめに行きました。ブリッジが丈夫かどうか確認して、問題なく割れ目を渡ることに成功。

-友達かつチームメートであるニニンズを失ったこと以外にも、モーソンとメルツは自分たちが深刻な状況にあることに気づきました。後方を歩いていたニニンズは、ほとんどの食料、彼らのテント、犬のえさ全てを運んでいたんです。

-およそ500キロの距離を10日で旅することは不可能です。当然、食料が底をつきました。

だから、あり得ないことも考えなくてはならなかったんです。つまり、そりを引いている犬たちです。

-メインキャンプから161キロも離れた場所で、モーソンは一人きりになり、生きるための食糧がほとんどなく、足と皮膚は深刻な凍傷になっていました。

-モーソンはすでにすべての望みを捨てていました。しかし、1913年1月29日、黒い布に包まれた食べ物と仲間からのメモを発見した時、再び希望が戻ってきます。仲間たちはモーソンたちのグループを探し続けていて、船はまだ待っているという内容のメモでした。

-辛抱強くファー・イースタン・パーティーを待っていたオーロラ号は、モーソンがたどり着く数時間前に南極大陸の沿岸を発ってしまったんです。遠くにまだ船の姿が見えました。

-ダグラス・モーソンは、オーストラリアでヒーローとして迎えられ、素晴らしい功績をたたえ勲章を授与されました。

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声の提供

Koji Asano

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