子供を育てるため、自ら笑いものになった女性の話

「背に腹は代えられない」って言いますよね。ある女性が悲劇的な出来事に直面したとき、まさにそういう状況だったのです。メアリー・アン・ビーヴァンは、一人で子供を育てていくため、「世界一醜い女性」という称号に自ら耐えることにしたのです…

メアリー・アン・ウェブスターは1874年、ロンドン生まれ。小さい頃はかわいくて、健康で明るい子でした。学校を卒業すると、彼女は看護師として働き始め、29歳のときトーマス・ビーヴァンという男性と結婚します。そして二人の娘、2人の息子に恵まれます。幸せな結婚生活が続いていくかに見えたのです。

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タイムスタンプ:

初期症状 0:55

彼女の美貌はどこへ行った? 1:19

末端巨大症っていったい何? 1:59

どうやって彼女の病気が収入源となったか 3:25

見世物小屋 5:38

「神秘的な」要素 6:04

「期待と現実」のカード 8:09

概要:

- メアリー・アンの体調の変化は、最初は深刻に見えませんでした。結婚指輪がきつくなり、靴のサイズも大きくなりました。ですが指や足がむくむのは、産後の女性にはよくあることです。

- 医師たちは、最初何の病気か全く分からなかったのですが、時がたつにつれて新しい症状が出てきました。手と足が異常なほど大きくなり、顔もすっかり変わってしまい、肌は厚くざらざらしてきて、声は低くしわがれてきました。

- 哀れなメアリー・アンが患っていたのは先端巨大症という珍しい病気です。毎年、この病気と診断されるのは100万人に3人たらずです。

- 現代では、先端巨大症は手術や下垂体への放射線治療、投薬、またはそれらの組み合わせによって治療できます。

- メアリー・アン・ビーヴァンには気の毒なことですが、20世紀初頭には効果的な治療法がなかったため、彼女はこの病気と共に生き、症状に耐えるほかなかったのです。

- 彼女の不治の病が、未亡人と子供たちの生活の糧となったのです。

- 1920年、彼女はアメリカの興行師サミュエル・ガンパーツに、コニーアイランドのドリームランドの余興に出ないかとオファーを受けました。色々な病気や異常によって大衆を楽しませる人々のいる「見世物小屋」に参加しないか、という意味です。

- 19世紀中ごろには、見世物小屋はアメリカでも高い人気を得るようになります。信じられませんが、子連れ家族のちょっとしたお出かけ先だったのです。

- この異常なエンターテイメントの人気が高かったのは、人々が自由時間を過ごす方法が限られていたせいでもあります。

- 余興での仕事の他に、メアリー・アンの写真に「世界一醜い女性」と書かれカードが何枚もあります。彼女はこの称号を受け流し、生涯耐え続けたのです。

- メアリー・アンは、著名な神経外科医のハーヴェイ・クッシング医師の患者でもありました。彼は実際、彼女の外見をおもしろがるのは残酷だ、と人々にはっきり伝えようとしました。

- 2000年代はじめ、有名なグリーティングカードの会社が「期待と現実」という、ブラインドデートに関するカードを発売しました。

- イギリスで休暇を過ごしていたオランダの内分泌学者、ヴォウター・デ・ハーダー医師がそれを見た時、ひどいショックを受けました。このカード会社はただちにカードの販売をやめ、後悔の意を表しました。

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